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どういう訳か今日はさっきから小難しいコトを考えている訳ですけれども。
台風が過ぎてみるととても澄んだ空に大きな月が浮かぶんですよね。
誰が言ったのかどうしても思い出せないんですけども、その昔『台風が過ぎた後の空が澄み渡るのは、普段人間の欲望や嫉妬心のような蟠りの塊が空に沈殿していて、その沈殿した良くないものを台風が引きはがして持って行くからだ』って言ったヤツがいたんですよね。
今となってはそれを誰が言ったのかも思い出せないでいるんですけども、そのフレーズは台風が来る度に思い出す。本当にその通りだと思う。
それとは別に大きな月っていうのはまた別の問題で、アレですよね?太陽とか月が低い位置に在る場合、マンションだったりビルだったり鉄塔だったり遠くの山だったり、普段見慣れていて大きさを知覚しているものと対比出来るから大きく感じる訳ですよね?
で、逆に空のド真ん中に在る時には他に比べるものがないから小さく見える。
実際には低かろうが高かろうが太陽も月も地上から眺める大きさは然程変わらないのに、ですよ。
これと同じような現象が速度にもあるじゃないですか。
例えば空を飛行機が飛んでいるのを地上から眺めている場合、右から左、或は左から右に飛行機がゆっくり移動していくのを見るじゃないですか。
空の左から右に移動するのをずっと眺めていないといけない、それが国民の義務だ。という法律があったとすると『遅ぇなオイ。もっと速く飛べよコンニャロウ』とすら思うかも知れない。
でもですよ。
その”遅い”飛行機は実は音速に手が届く勢いで飛んでいるのかも知れない訳ですよ。
それでも遠く離れた地上から眺めているとのんびりしてるように感じたりする。
これってのはスピードというものそのものが己の立ち位置ひとつで、もっといえば己の感じ方ひとつで大きく左右されるっていうコトなんだと思うんですよね。
どれだけの高速で移動する物体も距離を取って眺めれば実際の速度は感じられずに緩慢な動きに見える。
地球の自転の速度もそうだし星の動きもそうだろうって。
でも、その辺のマダムが操縦してる暴走スクーターが鼻先を掠めるくらいの距離で走り去った時にはとんでもなく暴力的な速度を体感する。気がする。
アレですよ。
人間の感覚というのは、覚えたい情報を覚えたいように覚えているんだそうですよ。
それこそ小難しいノリになってしまいますけども例えば子供の腕に、アイロンを押し付けると火傷をして酷い水ぶくれが起きるんだっていうのをしっかり見せつけたとするじゃないですか。
その後に同じ子供に目隠しをして、耳元で『さっきと同じものを君の腕に押し付ける』と囁く訳ですよ。
そうすると、ただの冷たいスコップを腕に押し宛てただけなのに、その子供は十中八九泣き喚いて暴れつつスコップを押し宛てられた場所にアイロンを押し当てられたのと同じような水ぶくれを生じるっていうアレですよ。
つまり、思い込みが身体に変調をきたすっていう訳ですけども、『寒いんだなぁ』と思えば震えて身体を温めるし『暑いんだな』って思えば汗をかいて身体を冷す。それを無意識にやっているのが現代のサルの代表である人間な訳ですか。
とかなんとか思うさま脱線してますけども、『自分の考えるスピードってコレか!』って急に閃いたんですよ。さっき。
のりはし頭上では成人男性の握りこぶしくらいの大きさの豆電球がピコーンってなりました。
サーキットを走るっていうのはレースじゃなくてもタイムが出れば誰が速いとか遅いとかっていう順位が着けられる訳ですけども、データで表して誰よりも速いとかコースのレコードホルダーになるとかっていう物理的な一番ではなくて、自分の中でいつの自分と今日の自分との差を考えるっていうか…そういうのが自分の感じているスピードっていうものだった。それは今までも自覚してたんですけど、自分の中で納得出来る材料を手に入れたっていうかそういう気分なんですよ。
自分以外の人にとっては心底どうでも良い話しなんですけどね…(笑)